詩歌と世界

 私の父は芸術への造詣が深く、多様な創作を残しましたが、詩の分野では中原中也などを好んだようです。おそらく、その文学的な表現が詩人としての心の琴線に共鳴したのでしょう。

 対して、ゲンズブールなどを聴いている私にとって、詩歌は文学的なものということではなく、フィロソフィーやビジュアルなどを含めたアーティストが創り出す世界の一面として捉えています。

 しかし、言葉を主幹にイマジネーションを繰り広げていく詩作の妙というのも解ります。とはいえ、声と曲の要素を欠くことには物足りなさを感じてしまうのも確か。例えば、この宮川哲夫の詞には、この声と曲が必要なのではないでしょうか。

何もかも 聞いていながら
知らん顔して
ラララン ラララン ラララン
すましているよ
呼んでおくれよ しあわせを
銀杏は手品師 老いたピエロ

フランク 永井 昭和三十三年

 懐風藻の如く半永久に残る詩もあることから、言葉は相当に長命といえるでしょう。昭和の詩歌もそうであってほしいと願っています。

作成者: Az

アコースティックバンド Premier Ensembleのブログです。